第254球「二つのベクトル」(2006.9.13)

 「勝負」と「娯楽性」は同等のレベルで、同等に追求されるべきものである、と俺は思っている。そりゃぁ、その時々によってそのバランスは微妙にずれてくることもあるのだが、根底に流れる考えは不変、と言ってよい。それが草野球の大きな魅力ではなかろうか。

 一番望ましいのは、「勝負」することが、最大の愉しみである、と考えること。痺れるような試合の中で、ベストなプレーをすること。そのための努力を惜しまないこと。しかし、それだけではないはずだ。もう一つは野球すること自体を「楽しむ」こと。結果そのものを必要以上に引きずらないこと。そういう精神的な余裕もどこかに必要なのだろう。この二つのベクトルバランスが保ててこそ、「また参加したいな」「また頑張りたいな」という気持ちが生まれてくるのではなかろうか。

 このベクトルバランスを保つのは非常に難しい。やじろべえのように、振り子のように右に左に揺れながら、チームというのは動いている。まさにチームは生き物だ。だから必ずしもいい試合ばかりできるわけではない。いい活動ばかりできるわけでもない。またその逆も然り。その積み重ねが今のチームを作っている。

 ただ、間違ってはいけないのは「楽しむ」は「ラク」をするのではない、ということ。肉体的にも精神的にも「ラク」はしてはいけない。我々のベクトルバランスに「ラク」の文字は存在しないのだ。あくまで「たのしむ」ということ。似ているようで、明確に違うのだ。

 楽しむために、自らを鼓舞し、衰えつつある体にムチ打って、その積み重ねで勝負する。楽しく、激しく野球をする。何と楽しいことだろう。何と素晴らしいことだろう。このベクトルバランスは今後も追求するよ。