第228球「トーナメントは二度死ぬ」(2005.10.27)

 興味深い記事を見た。某名門高校を長く率いてきた監督が、低迷期の責任を取り辞任し、その後継者として監督の弟子が就任し、図らずも同じ県内のライバル同士となった時のこと。弟子監督は見事全国制覇を果たすこととなり、師匠越えを果たしたのであるが、この二人の勝負観(高校野球なので当然トーナメントを勝ち抜く術を指す)がまるで違うのだ。

 弟子監督は、「トーナメント(特に県予選)は圧倒的に勝たねばならない」という意見だ。そうすることで初めて全国を意識するチームが出来上がるのだ、と。それが全国制覇の第一歩だ、と。逆に師匠監督は、今回の表題のとおり「トーナメントは二度死ぬ」という意見だ。どんなに戦力的に勝っていても、どんなに実力が離れていても、一発勝負はやはり怖い。不測の事態に陥った時、そこを乗り越えてこそ真の強さを持つチームができるのだ、と。逆にそういう修羅場を経験していないチーム(これは恐らく弟子監督の目指す勝負観を指しているのだが)は、いざそういう場になった時に弱さが出る、と。

 そんなに圧倒的に強いチームに所属したことのない俺ではあるが、やはり後者の師匠監督の意見がしっくりくる。それは過去のTWINSの戦跡が証明している。過去に二度の大会制覇を成し遂げているが、順風満帆に制した大会はやはりない。投手陣全員が故障し、誰がどう見てもヘロヘロの直球でも僅差を守りきり、誰が打てるんだこんな投手、と思っていた投手から虎の子の1点をもぎ取り、そうやって大会の上位に進んでいった。勝つということはこういうことなんだ、ということを学ばせてもらった。そうやってTWINSは実を結んでいったのである。

 勝つということは何も相手に勝つだけではない。必ず来るであろう修羅場やピンチに自分達が負けないこと、これが勝つ秘訣なのだ。「凌ぐ」。この言葉がぴったり来る。勝つためには「凌」がねばならない。「凌」いだ先に初めてタイトルが見えてくるのである。

 今年最後まで残っているトーナメント大会も修羅場を潜り抜けてきた。「凌」ぎきってきた。我々にはその自負がある。自信がある。誇りがある。この自負・自信・誇りを持って次の試合にも臨んでいこう。当然のことながら「二度死ぬ」というのは最後の負けっぷりのことを指している。負けたとしても簡単には負けない。最後の最後まで諦めずに壮絶に散る。一年の締めくくり、強い想いでやっていきましょう。