第222球「巨人戦を見ながら気付く」(2005.8.22)

 今や日本一つまらない、と評判の巨人戦。勝負どころの終盤も放送打ち切り、スタンドは青い空席が目立ち、視聴率も伸びず・・・とその凋落ぶりは目を覆うばかりである。一体なぜつまらないのか、それを俺なりに考えてみた。

 巨人というチームの性格上、「勝つ」ことができなければ、ファンは納得しない。これは明らかである。そして、いつも同じような試合展開。勝つ時は一発攻勢で圧勝し、負ける時は競っていながら細かいミスで決勝点を与えたり、救援陣が不調であっさり虎の子の一点を取られたり。そんな展開が今年の巨人の場合、ある程度予想できてしまう(それも悪い予想ほどなぜかぴったり当たる)こと。そんなところが最近の巨人戦が面白くない原因なのだろうと思う。

 決して手を抜いているというわけではない、と思う。逆にどのチームよりも必死に戦っていると思う。しかし、その予定調和的な試合運びが、選手の必死さを打ち消してしまう。そんなことを考えているうちにはっとなった。ひょっとしてTWINSを初めとする草野球チームも同様の問題を抱えているのではなかろうか、と。

 毎度毎度同じことを繰り返すことは、試合の型を作る上で最も重要な鍛錬である、と思う。アップに始まりキャッチボール、トスバッティング、試合、クールダウンと一連の流れを毎回毎回繰り返しながら、自分のベストプレー、チームのベストゲームを追求していくという姿勢だ。難しいのは、これが予定調和的になってしまうこと。かいつまんで言うとマンネリ化してしまう、ということだ。

 例えば「優勝争い」などは目的からすれば最優先のことだけれども、テーマとして考えると最も単純なものなのだと思う。一年の活動の中で、最後の最後に現れるテーマであり、そこまでの道程こそ、一貫して持ち続けるべきテーマのはずなのだ。そこが非常に難しい。

 毎試合毎試合テーマを見出して、それを共有すること。どういう位置づけの試合なのか、を明らかにして、それをどうモノにするかを考えること。どれだけその想い汲んで活動に参加するように動くか、ということ。そしてそれを試合のプレーの中でどう表現するか、ということ。やもするとスルーしてしまいがちな営みではあるけれど、チーム運営からすると非常に大事なものなのだろうな。

 それにしてもこういうことを巨人戦見ながら気付くとは思わなかった。