第162球「あるべき姿」(2004.4.5)

 「主将」の型にも色々ある。エースで四番という人もいるだろうし、マネージャーとして活躍される人、三塁コーチャーとして活躍される人もいるだろう。色々な役割がある中で試合というもの、チームの活動というものを支えるわけだから、それこそチーム事情によって様々な型があるはずだ。

 ここで難しいのは、チームが求める主将像と、主将自身が目指している主将像・自分が得意としている主将像をどこまで一致させることができるか、だ。というより、「俺はこれでやっていくんだ。」ということをどれだけクリアに打ち出せるか、なのだろう。主将像は主将自身が創り上げなければならない。最近そう思う。

 主将に就任してからの一年、俺はそういう自問自答を続けてきた。自問自答をすればするほど、息苦しさと居心地の悪さをじわじわと感じることも少なくなかった。チームには問題ない、あくまで俺自身の問題だった。そんな俺を支えてくれたのは、ほかでもない副主将の二人であり、GMだった。低迷するチーム成績と個人成績。目も当てられない惨敗、実りのない秋。そんな中でも少しずつではあるが光が差してきた。その結果がこの春の成績に現れているのだと思う。

 この春の俺のプレーは、そのまま俺の決意の表れでもある。俺には「プレイングマネージャー」しかできないのだ。プレーで引っ張るしかチームをまとめる術がないのだ。本当に俺にはそれしかないのだ・・・。数字が伴えば言うことはないのだけれども、そうではない。やはりグラウンドでの「佇まい」に今まで以上に拘りを持っていきたい。それが俺の「あるべき姿」だ。

 直接言われたわけではないけれども、「あいつは有言実行の男だ」と褒めてくれた野球人がいる。それは、俺の佇まいとこのコラムを見て、ある程度の筋を通して野球に取り組んでいることを認めてくれたのだろう。非常に嬉しい。だからこそ、昨年のようなどん底の状態でも、みんなついてきてくれたんだな、と思う。今年は昨年以上にやってやる所存である。びっしびしいってやるからな!。