第95球「采配とリスク」(2002.11.11)

 采配を振るう者は、必ずリスクを背負ってサインを出す。それを生かすか殺すかは、まさにフィールドのプレイヤーにかかっている。成功すれば名采配、失敗すれば迷采配となってしまう。スポーツニュースを見ていても、そうやって仕掛けるプレーというのは、試合のキーポイントとして紹介される。観客・評論家の立場からしても大きなものであるのだから、試合をしている選手からすれば、その大きさは測るべくもない。まさに勝負どころのワンプレーである。

 采配は一点をもぎ取るために出す。「ここで一点がほしい」という時に出す。ただし難しいのは、采配は味方対して行うものでありながら、采配を振るう者本人が実行することではないことから、ある意味他力本願のようなものでもある。「あいつならバントを決めてくれる」「奴なら最低限ゴロを転がしてくれる」そういう信頼感があってこそ、あえて他力本願な采配をすることも可能になる。

 サインを出された選手は、そういう意味では光栄に思わなくてはならないのかもしれない。少なくとも、「打てそうにないからバントで送る」とか、「ダメでもともと走らせてみるか」というような否定的な感情は捨てたほうがいい。あくまで「ここで一点欲しい」からこそ出すものであり、それを遂行できると思われているからこそ、采配を出すのだ。

 ところが、我々は所詮素人集団。そんなにうまく采配がずばり決まることのほうが少ない。実際練習をしてみても、なかなか思うようにはプレーは運ばない。こういう時は采配を振るう側も「目標値」の設定が必要となろう。つまり、サインは出すけれども、最低限ここまではやって欲しい、という線だ。バントで送る、エンドランを仕掛ける、これを完璧にこなそうとすると、逆に打者走者は力む。力むとそこにスキが生まれる。

 だから俺が采配を振るう時は、最低限「ファウル」というところを最低線にセットする。バントもエンドランも最悪ファウルになればいい、と。それが最低限の采配を振るう者のリスクヘッジだ。逆に言うと、サインを出す時は、俺はそこまでの遂行を選手に求める。そして、そこまでの遂行を信じる。さらに上のレベルの成功までもたらせば、それは選手の成果である。

 采配は大事だ。だが、その前に采配は味方選手の力を最大限に出し、相手選手の力を封じること、これが一番の意味だ。そして過度の期待をせずに、最低限の仕事をまっとうするまででいいのではないだろうか。これが、采配を振るう者に求められる要素であるように思う。リスクは少なく、成果はできれば大きく。これを追求していこうと思う。