第91球「日本シリーズが来ると思い出す」(2002.10.17)

 日本シリーズが近づくといつも思い出す光景がある。機動力が明暗を分けたというこのシリーズは、一つの怠慢プレーと一つの積極的な走塁がシリーズの流れを左右した。巨人vs西武のシリーズだった。当時西武の三塁コーチャーズボックスには伊原現監督がいた。彼は巨人のセンタークロマティの緩慢な送球を見るや否や、二塁から三進してきたランナーに迷わず本塁突入を指示した・・・。

 このプレーは伊原コーチのファインプレーとして非常に有名だが、俺はそれだけとは思わない。これは二塁ランナーだった辻選手の隠れたファインプレーなのだと思う。ランナーが塁に出たら、常に次の塁を狙うこと・・・野球をする者なら誰もが思うアタリマエのことだ。が、実際に塁に出てみるとなかなかどうして、隙を見つけることは難しいものだ。そしてもっと難しいのは、「今のところ隙は無いが、隙を見つけたならば、即動く」ことを想定して走ることだ。

 こういうプレーは相手チームに大きなプレッシャーを与える。例えば2アウト二塁で打者が三塁ゴロを打ったとする。当然三塁手はがっちり打球を掴み、一塁手へ送球する。その瞬間に、きっちり走りこんでくる二塁ランナーを見たら、どうだろうか。少しでも送球がそれて、一塁手がファンブルでもしようものなら、即座に一点に繋がる。そう思えば思うほど、三塁手の送球へのプレッシャーは大きくなる。得てしてそういう時ほど、手が縮こまり、ショートバウンドの送球となってしまいがちだ。

 これはあくまで一例に過ぎないが、試合の中で、必ず似たような光景を目にすることだろう。「きっちり走ってくる打者走者がいる」というだけで、落ち着いて処理すれば何てことはない打球でさえも、守備側のミスが生じる可能性は大きくなる。これも一つの戦力であり、一つの実力なのだ、と思う。

 「走塁にスランプなし」という。打てなくとも、守備でミスをしようとも、走塁だけはチームに貢献することができる。どんな強打やどんな美技からも伝わることの無い、その選手の気持ちが一番ストレートに出てくるプレーなのではなかろうか。

 そういう意味で前述の日本シリーズのプレーは、ランナーの気持ちで掴んだ一点であり、一勝であり、ひいては日本シリーズ制覇なのだ、と思いたいのだ。日本シリーズでも草野球でも原点は一緒だ。気持ちを大事にするチームであればこそ、今一度原点を見直して試合に生かそうではないか。大一番を迎えるからこそ、改めて自分にそう言い聞かせてみました。