第88球「さぁ声を出そう」(2002.9.27)

 先日の試合の一コマ。無死一塁、カウント2ボール1ストライク。TWINSベンチはヒットエンドランのサインを打者走者に出した。相手投手はストライクを取ろうと直球を投げ込んできた。打者はその直球にバットを合わせると、打球は三塁手の前に痛烈に転がった。三塁手はがっちりそれを掴むと、迷わずセカンドに送球をした。しかし、ランナーはすでにセカンドベースに滑り込んでいた・・・。

 一声あればなぁ・・・」と相手守備陣を見て思った。一声「ファーストに投げろ!」という指示さえあれば、確実に1アウト取れたのにな・・・と。守備とは飛んできた打球を処理するだけでなく、その処理を的確に指示することも大きな要素の一つだ。攻撃側の我々からしてみればラッキーな出来事であるが、他人事とは到底思えない。改めて身が引き締まる思いがした。

 守備の際にいつも内野陣で確認することは、「確実に一つずつアウトを取ろう」ということだ。ゲッツーをほしい場面であっても、その部分だけは徹底している。ゲッツーを取りたければ、まず一つアウトを取らなければならない。そんなアタリマエのことでさえも、実際に打球が自分のところに飛んでくると非常に困難なことのように思われてくる。そこを確認しあうわけだ。そしていざ打球が飛んできた時に、ベストプレーをできるよう導くのが我々のもう一つの役目なわけだ。誰が取るべきなのか、どこに投げるべきなのか。それをプレー前には確認し、いざプレー中にはいち早く声で知らせる。これぞ「チームプレー」の最たる例ではないか。だからこそ声を大にして言いたい。「声を出そう」と。

 声を出すことで、肉体的には力が抜けリラックスした状態になり、精神的にも集中できるというメリットがある。しかし、ただ「元気」なだけでは、声を出す意味は半減してしまう。本当に大事なのは、自分が直接打球を処理しない時に、どれだけグラウンド全体に注意を払い、守備陣の綻びや相手チームのスキを見つけ出せるか、そしてそれを伝えることができるかなのだ。それがどれだけ味方を救い、相手チームにダメージを与えるかは想像に難くない。

 判断をするのは確かに難しい。しかし判断しなければベストプレーはできない。ビッグプレーは成立しない。一つのプレーにはそういうバックアップがあって初めて完結する。それが出来るチームの守備は堅くて当然なのだ。だからこそ思い切って「声を出そう」。