第87球「若き親父どもへ」(2002.9.13)

 別に隠していたわけではないのだが、実はもともとは俺は左投げ左打ちだった。そう、俺はサウスポーだったのだ。それを俺の父親がわざわざ右投げに変えてしまったのだ。最初に父親が買ってきてくれたのは右投げ用の小さなグローブだった。確か青いミズノ社のグローブだった。

 左投げの選手はどうしても投手・一塁手・外野手のいうように守備位置が限られてしまう。サウスポー投手というのは確かに魅力的ではあるが、内野手を守ること機会は殆どなくなってしまう。そういう意味では、選手としてレギュラーを獲得する機会が減ってしまう、と言えなくもない。だから父は俺を右投げにしたのだった。いずれ野球を志して、どこかしらレギュラーを獲得することを祈って。

 記憶が全くないのだが、最初俺はグローブとボールを一緒に投げていた、と言う。当たり前だ。左投げの俺が、左手にグローブを嵌められているのだから。それを父は根気良く直していった。少しずつ少しずつ。そして何時しか俺は、右投げ左打ちの野球小僧に変身してレギュラーポジションを獲得するまでになった。で、気が付けば俺は右投げ左打の野球人になっていた。思えばこの左投げから右投げへの転向が俺の野球キャリアの始まりであり、原点だった。なんだかイチロー物語みたいだなぁ、そこまでの選手にはなれませんでしたけどね。

 でもそのまま左投げ左打ちのままだったら俺はどうなっていただろう?。少なくとも今俺が守っていることの多い捕手やショートは守っていないだろう。逆に野球していないかもしれんな。

 俺はまだ父親になっていないので、偉そうなことは言えないんだけど、やっぱり親父は息子とキャッチボールすべきだと思う。向き合って、息子が投げてくるボールをしっかり掴んでほしいと思う。俺にとっての野球の原点は父とのキャッチボールだった。決して口数の多い男ではないけれども、正しいフォームで正確に投げてくる父は、俺に有形無形の財産を残していたんだと思う。俺は今その財産で、野球を楽しませてもらっている。感謝しなければならないだろう。

 そしていつか俺は受け継がねばならないだろう。俺の息子にその財産を手渡すまで。因みに俺はまだ独身です・・・父も健在です。いつになったら相続できることやら。すみませんね。