第85球「心意気」(2002.9.4)

 打席に入り精神集中をしつつも、俺は色々なことに想いを馳せる。一つは相手投手の投げてくる配球。もう一つは、この場面で自分がすべき理想のバッティング。もはや何も考えずに打席に入り、「イチ、ニ、のサン」でバットを振り切れなくなってしまったのは俺だけだろうか。

 考えすぎてもあまり結果はよくないし、かといって何も考えずに行ってもよくない。微妙なバランスの上に打撃というのは成り立っているのだと思う。単に来た球を打ち返すということだけなのに、打撃というのは、何と奥深いものなのだろうか。

 攻撃の目的は、言うまでもなく得点を挙げることだ。だから「得点を挙げるために」どんな打撃をするのかを誰しも考える。いちばん簡単なのが、ヒットを打とう、と考えることだ。なぜならそれは相手にアウトを一つも与えず、味方にチャンスをもたらすものだからである。しかしそれを達成できる確率はせいぜい30%(=打率)だ。あまりにも確実性に欠ける。

 しかし、打率と共に見逃してはならないのが、「得点圏打率」である。ランナー二塁に置いた場合の打率である。個人差もあるが、総じて通常の打率よりも高くなる。理由は簡単だ。ランナーを背負うことで守備体系に制約が発生し、ヒットゾーンが広がるからだ。従って、得点をしたければ、まずは二塁にランナーを進めることを冷静に考える必要がある。それが選手個人の安打への可能性を広げることにも繋がり、さらにチームの得点に結びついていく。この点において、打者一人一人が「打線」というものを意識して打席に入らなければならない。

 大事なのはその意識を相手に感じさせること、そして味方に伝えることだ。一つのアウトと引き換えに確実にランナーを一つ進めるような攻撃は守備陣に大きなプレッシャーを与える。スコアリングポジションにランナーを置いた守りほど嫌なものはない。同じくただでは倒れないその姿勢は、後続の打者に対するこの上無いお膳立てになり、得点へ向けた弛まぬ前進はチームに対するこの上ない活力を与えてくれるのだ。

 打席では、結構その打者の心情が滲み出てくる。また、それは同じグラウンド内でプレーする選手にはいち早く伝わるものなのだ。だから打者には少なくとも見せなければならないものがある。それが「得点への意識」であり、「繋げた打線に対する返答」である。そして、それはヒットを打った、という結果だけでは滲み出て来ない。それは打者の佇まいから発せられるのだ。これを俺は古臭い言葉だが「心意気」と呼ぶ。