第72球「らしくないぞ」(2002.5.1)

 もともとグラウンドレベルでははっきりと物を言うタイプの背番号6だけに、同じ穴のムジナというか、敵味方の一挙手一投足に対して、色々言いたくなる心情は非常に良くわかる。それがわかるだけに、相手や味方からのいわゆる「野次」にはあまり気にならない方だと思っていた。体は熱くなっても、頭はまだ何とか冷静でいられる、そんな部分はある意味自分の特徴の一つである、なんて思っていた。が、先日の一言はそんな俺をヘコますのに充分なインパクトがあった。たった一言。それも何気なく発せられた言葉だった。

 「らしくないぞ」がその一言だ。ガタガタに荒れ、小石が点在しているグラウンドでの練習での一コマだ。グラウンドの悪コンディションがいつものようにショートのポジションでノックを受けている俺から、わずかながら集中力を奪った。普段なら取れるような打球に対して、腰が引けグローブにさえも触らない有様だった。勢いの無くなったその打球は転々とセンター方向に転がっていった。そしてその一言は、その打球が転がっていった外野から聞こえてきたものだったのだ。

 「下手くそ」と言われたほうがなんぼ楽だっただろう。エラーを叱責された方がどんなに楽だったろう。それは、野球人がミスをすれば、少なからず浴びせ掛けられる一言であるからだ。「お約束」というか、「慣れっこ」のような一言。俺はそういう言葉に慣らされてしまったのかもしれない。だからこそ、言葉尻は穏やかでありつつも、野球人である自分自身を否定されるかのような、その一言に俺はヘコまされたのだ。それはまさに自分のプレーを映し出す鏡のような一言だったのだ。

 自分のプレーはみんなに見られている。要はそういうことなのだ。そして自分のプレーはまさに自分自身を映し出している。あんまりにもそれを意識しすぎるのも考え物だが、少なくとも心に留めておくことで、自分のプレーに小さなプライドが生まれる。だからこそ、それを見ている者から「らしくない」と言われたことで、ヘコむ自分がいる。あんまり意識してはいなかったが、自分のプレーには小さくもプライドを持ってやっていることを気づかせてくれたのだ。

 「自分らしいプレー」とは決して華麗でスマートなファインプレーではない。自分の中の小さいプライドを大事に守り続けるプレーこそ、自分らしいプレーなのだ。それが多分俺らしいプレーなのだ、と思う。