第69球「一番難しいプレー」(2002.4.3)

 俺の最初の野球場は「米軍キャンプ」だった。リトルリーグ(硬式野球)だったこともあり、街の公園や小学校の校庭では、当然のことながら使用許可が下りないので、わざわざそういうところまで毎週のように出かけたものだ。神奈川には米軍キャンプが数多く存在し、その中の「座間キャンプ」内の球場を使わせてもらっていたのだった。

 そのグラウンドは内野もランナーが走るところとマウンド以外は芝生になっていて、今でいうところのメジャーリーグのスタジアムと同じ形状になっていた。おぼろげにしか覚えていないが、昔むかしのドラマ「がんばれベアーズ」さながらの牧歌的な風景だったように記憶している。「がんばれベアーズ」を知っている野球人はかなり通というか何と言うか。簡単に言えば、年食ってますねぇ。

 俺はそのグラウンドで野球の基礎中の基礎を学んだ。非力だったので、パワーがつくまでは自分の思い通りのプレーはなかなかできなかったが、その分基本プレーを叩き込まれた。基本プレーを怠るとえらく怒られた記憶がある。そういう理念というか方針を持ったリーグだったのだ。

 「基本プレー」は簡単そうに見えて、一番難しいプレーだ、と最近になってつくづく思う。相手の胸めがけてボールを投げるとか、膝を柔らかくして左足を一歩前に出し、そこでゴロを掴むだとか、フライはすぐに送球体勢に入れるように半身で掴むだとか・・・。アタリマエだ、と頭ではわかっていても、体がそれについてこない。どこかで楽をしてプレーをしようとする自分がいる。

 俺は逆にいいプレーのために基本プレーを「惜しむな」と言いたい。打球の正面に回りこむ最後の一歩や片膝をがっちり地面につけての捕球や、そういう一つ一つの動作を惜しんではいけない。それを律するかどうか、はすべて自分自身の腹の中にかかっている。目の肥えた野球人はミスをしたことよりも、基本プレーを「惜しんだ」ことに対してきっと怒りをぶつけてくるはずだ。少なくとも俺はそうありたいと思っている。それが俺がリトルリーグで叩き込まれたすべてなのだ。俺の中の野球の原点なのだ。