第68球「カバーズ」(2002.3.28)

 「やっぱねぇ、褒めてほしいんだよねぇ。」彼は言うのだった。最近特に好調になってきたバッティングや安定してきた守備のことを言っているのではない。彼が言いたかったのは、「カバーリング」のことなのだ。

 いくら守備が堅い選手やチームでも、ミスやエラーは必ず起こる。それらを最小限に食い止めるのがカバーリングである。連鎖的なエラーを防ぐ精神的な要素はさておき、目立たないプレーではあるが、カバーされる側からして見れば、大変ありがたいプレーである。

 捕球や送球のカバーだけでなく、中継プレーや牽制プレーなど守備全般に言えることなのだが、カバーリングが徹底されている守備であれば、プレイヤー(ここでは、打球処理をする人を指す)は思い切って勝負できる。ここがカバーリングの一番の肝の部分だ。仮にそのプレイヤーが捕球できなくとも、送球ミスしようとも、カバーリングしていることを踏まえれば、その分ダイビングキャッチを試みたり、ファーストにぎりぎり低い送球をすることもできる。つまり攻めてアウトを取りに行くことができるのだ。

 ファインプレーと無謀なプレーは紙一重だ。一見華麗に見えるダイビングキャッチなどは、少なくとも体に当てて前に落とさなければ、完全に長打になる。一塁への送球も中途半端なバウンドになっていれば、一塁手が後逸する危険性は大きく広がる。その勝負でアウトを掴むのはそのプレイヤーの実力である。しかし、その裏側にはそういう勝負できる環境を整える、目立たないカバーリングが存在することを忘れてはならないのだ。プレーそのものはちょっと違うかもしれないが、中継プレーのカットマンなどもまた同じ意味合いを持つプレーであると言えよう。

 カバーリングはある意味当たり前になっているので、そのプレー自体を褒めるわけにはいかない。しかし、それがあるおかげで思い切って勝負に行ける守備陣であることには、感謝しなければならないだろう。その感謝の気持ちは自分のプレーに反映させることが必要になってくるはずだ。だからこそ、一つのアウトをもぎ取る攻めの守りを心がけなければならないのだ。それがカバーリングプレーに対する一つの答えなのだ。