第64球「勝負強さ」(2002.3.4)

 「勝負強い選手」に非常に憧れる。だって毎試合勝負しているわけだから、そんなものは当たり前だ。でも、オリンピックなどを見ていると、「金メダル確実!」なんて騒がれていて、本番にコケる選手がいるかと思えば、また評判どおりの力を発揮して、しっかりと結果を残す選手もいて、はっきりと明暗が分かれるように思える。では、なぜ勝負強い選手と勝負弱い(?)選手がいるのだろうか。今回はそういうことを書いてみたいと思う。

 「勝負は時の運だ」とよく言われる。全くその通りだ、と思う。やるべきことをすべてやって、それで僅差で敗れるようなときは、まさにこれに当てはまる。「時の運」で決まるような勝負を俺もしてみたい、と本当に思う。たとえ一敗地に塗れたとしても、だ。

 ただし、「やるべきことをやる」というフレーズを忘れてはならない。これが絶対的な前提条件だ。そして「何をやるべき」なのかは、チームで、又は個人個人で見出さなければならない。これが攻撃・守備問わず、いわゆる勝負事の一番難しいところであり、決定的な差になる部分なのだ、と思う。

 だから、攻撃していて、たとえアウトになったとしても、「やるべきこと」をできたら、それは「勝負強い」打撃になるのだ。ランナーを進める、敵失を誘う、そして全力で走る。結果はともあれ、そういう攻撃をしてくる相手は、守っていて嫌なものだ。単に勝利打点だとか、決勝打だとか、そういうことではない。もちろん勝利打点を挙げることはいいことだ。本人が勝負をかけるべき場面で、勝負に勝ったのだから。でも、そこまでのお膳立てをした打線や、ランナーを進めた打者にも光を当てる必要がある。なぜならば、彼らのそういうプレーが相手を追い込んだのだから。

 そう考えてくると、「勝負を時の運」に任せる前に、「やるべきこと」は沢山ある。それを一つ一つクリアしていくのが、「勝負強さ」である、と言えよう。だから、オリンピックで失敗した選手は、「何が足りなかったのか」「何をすべきだったのか」「これから何をすべきなのか」そういうことに想いを馳せているんだろうなぁ・・・。そういうヤツを無条件に応援したいと思う。野球人にしても同じことだ。