第58球「目指せ超二流」(2002.1.17)

 「俺は超二流を目指す」という某チームの(元?)エースがいる。
 「超二流」・・・。なんだか言いえて妙である。これなら俺にも目指せそう・・・というか何と言うか。

 普段五日間は普通に仕事に勤しみ、仕事後の時間や、休日のわずかな時間を使って試合や練習を行う我々は、そもそも野球中心の生活を送ることは不可能である。したがって、野球だけに集中できるわけもなく、いわば片手間に趣味として野球に取り組んでいる、と言っていい。だから、完璧なコンディションで完璧なプレーをしよう、ということ自体が無理のある目標である、と言える。気持ちはもちろん100%全力プレー。でも現実はそうではなくて、自分の思い描く半分以下のプレーしかできない、そんなもんではないだろうか。こう考えてくると、とてもじゃないけど一流選手の仲間入りはできそうにない。

 問題はこれをどう考えるか、ということだろう。一流選手は綿密なコンディション作りをした上で、練習に取り組み、卓越した個人成績を残す選手だ、とするならば、我々は今自分が置かれている状況の下で、真摯に野球に取り組み、少しずつ進歩を続ける「超二流」を目指そうではないか。そして、毎試合、ひとつでいいから、自分のイメージしたプレーができて、それを飲みながら自慢できるようにしていこうではないか。

 全盛期の自分からは程遠い肉体、フィットネス、パワー。そういったものを認識した上で、なおかつ一つ一つのプレーに全力投球する。それが俺の意味する「超二流」の定義である。だから、「超二流」の選手には肉体的限界は存在しない。精神的限界だけが引退(?)のバロメータとなりうる。もちろん、単なる運動不足の選手には、肉体的限界はすぐそこに忍び寄っているのだろうが。

 もう一ついうなれば、肉体的には「超二流」であっても、頭脳だけは「超一流」になれるのだ。今まで蓄積した知識や経験を自分のプレーに生かせるように練習していけば、もう一つ上の段階の「超二流」になれる。それが「超二流」の進歩だ。我々がもっともっと伸ばせる部分だ。

 たかが草野球ではあるが、されど草野球だ。草野球に真摯に取り組んでいる方はたくさんいらっしゃる。そういう方々と俺はグラウンドで会いたいと思っている。勝負をしたいと思っている。