第56球「フラストレーション」(2002.1.7)

 大晦日はテレビの前で正座した。おもむろにテレビをつけ、そして6チャンネルのボタンを押した。そう、プロレスファンなら、誰しも血沸き肉踊ったであろう、「INOKI BON-BA-YE」を見るために。

 安田忠夫の感動的な勝利や、ケンカ屋ドン・フライの強さ、シリル・アビディがはじめてみせる悲しげなタップ(ギブアップの意思表示)、クロコップの戦慄の左ハイキックなど結構見所満載で、個人的には非常に楽しめた。同時に前半3試合の腑抜けた試合内容に怒りを感じていたのも事実だが。溜まりに溜まったそのイライラ、すなわち「フラストレーション」が後半戦の興奮につながったのか、とも思える。実際会場も凄い盛り上がりを見せていたし。

 スポーツとプロレスは似て非なるものであるが、フラストレーションの溜まった状態から、一気に爆発するという意味では、似通った点が多い。野球におけるフラストレーションも試合中にどんどん溜まっていくものである。劣勢であるとか、ミスであるとか、膠着状態であるとか。そんな中で、反撃したり、好プレーを見せたり、均衡を破ったりして一気に流れを掴みとっていく。

 つまり試合に勝つには、その代償たる「フラストレーション」をまず克服しなければならない、と言えよう。「フラストレーション」の溜まる試合であれば試合であるほど、勝った時の喜びは大きいものである。それは、試合に勝利することもさることながら、そういう相手以外の敵に打ち勝つことに大きな達成感を感じずにはいられないからだ。

 フラストレーションに負けたのは、前半の3試合に出場した選手だった。最後の最後まで何も仕掛けることができずに終わった高田なんかは、その典型例だった、と思わずにいられない。本人の中ではいろいろあるのだろうが、観客はそういう高田の姿を、まったくと言っていいほど求めていなかった。その結果があのブーイングに繋がったのだ、と思う。見ていない諸兄には何のことやらさっぱりわからんかもしれませんが・・・。

 今年は公式戦も増え、肉体的にも精神的にもしんどい状態で、試合に臨まなければならなくなる。肝に銘じておかなければならないのは、試合に出場する選手は「フラストレーション」だけには負けてはならない、ということだ。このことは、今年の我々のひとつの大きなテーマとなるように思えてならない。いいものを見せてもらった、と思う。