第101球「バントは必要か」(2002.12.13)

 草野球掲示板を拝見していると、「バントは是か非か」という議論がされていることに出くわす。肯定派と否定派が真っ向対立していて、とても解決しそうにも無い。「たかが草野球で、バントのような手段を使うな」「そんなにして勝ちたいのか」「バントなんて姑息だ」と否定派の諸兄はお考えのようだ。そこまで言わなくてもいいのに、と思う。

 ちなみに俺はバント肯定派だ。試合に勝つため、そして自分に満足するため。少なくとも「姑息」な手段ではない。インフィールドフライを落球して、走者が飛び出すのを待ち構えてみたり、スパイクを立ててスライディングしたり、空タッチ(ボールも来ていないのに塁を回ろうとする走者にタッチするフリをすること)したりすることのほうがよっぽど「姑息」だ。

 言行一致の否定派の諸兄は、バントをすることはないのだろう。が、試しにやってみて欲しい。試合でなくてもいい。練習や、バッティングセンタのマシン相手でもいい。とにかくやってみて欲しい。これが結構難しいのだ。単に打つことよりも難しく感じることさえある。特にセーフティーバントなどは、転がした後全力疾走をしないと、安打にならない。「全力疾走」が草野球にとっての大きな財産と考える俺は、それだけでバント攻撃は、「是」になってしまう。

 前にも書いたが、俺はバッターボックスに入り、「イチ、ニのサン」でバットを振ることができなくなってしまった男だ。相手守備陣を見て、どこに狙いを定めようかを色々考えながら打席に入るようになってしまった男だ。守備練習で肩が弱いなとか、送球が乱れているな、と目に映ったり、声の連携が少ない内野陣だな、と思えるような時、気が向いたら狙ってしまう。三塁線ぎりぎりか、投手と一塁手と二塁手の間に転がすバントを。

 それを「姑息」と見るか、「一つの自己満足」と見るかは野球人のスタンス次第だ。俺はモチロン「満足」だ。自分で穴を見つけて、そこを突く攻撃を仕掛けることができたからだ。投手心理からしても、クリーンヒットを打たれるよりも、こういうヒットのほうが嫌に感じるものだ。そういう意味で「姑息」に映るのかもしれない。しかし、俺が忌み嫌う上記三つにあげるような「姑息なプレー」とは根本的に違うのだ。オススメはしないが、仕掛ける価値は充分にあると思う。もちろん全力疾走してくださいね。