第50球「MVP」(2001.11.22)

 大リーグでは、イチローのMVP受賞に対して、様々な意見が乱れ飛んでいる。「あれだけの活躍をしたんだから当然だ」という意見もあれば、「活躍はしたがMVPを取るまでのものではない」などまぁ色々だ。

 基本的にプロ野球選手が(だけではないが)オフシーズンに受ける表彰だの何だのというのは99%意味の無いものだ、と思っている。結局、人気選手が世間に駆り出される絶好の口実、というくらいの位置づけでしかない。答えはグラウンドの中で出されるべきだし、何より年間通じてたたき出した数字が如実に物語ってくれる。あとはどれだけ印象に残ったか、記憶に刻み込まれたか、なのだろう。

 そういう意味では、驚異的な数字を残し、かつ強烈な印象を残しているイチローのプレーに対して、MVPを贈るのは至極妥当なもののように思える。だが、俺はそういう感覚しか持ちあわせていないので、そんなに騒ぐほどのものではないのだ、とも思ってしまう。とどのつまりどうでもいいのである。そんなことより、来年の彼のプレーを見るのが今から待ち遠しく思ってしまうのだ。

 個人的には「99%意味の無い」と思っているそういう類の表彰であるが、1%の価値を見出すなれば、「相手の目標」となることにあり、と思う。コイツさえ叩けばこのチームに勝てる、というある意味「目の敵」のようなものなのだが、そういう存在になることを自他ともに認められるというのは非常に名誉あることである。特にHPを公開している草野球チームなどでは戦前に情報を掴まれることが多い。その際に「MVP」という文字はひときわ目立つものだろう。

 相手からマークされるというのは、嫌なものだが、それでいて独特の緊張感の中でプレーできる魅力も併せ持っている。そういう意味では俺自身MVPは欲しい勲章である。今季はあまりいい活躍はできなかったけれども、定期的に50球ものコラムを書き続けてきたことに対しては自分で自分を褒めてあげたいと思う。当コラムをお読みの他球団の諸兄には、また違う意味で(コイツがあの暑苦しいコラム書いているんだな、という)マークされることになるのであろう。これまた違う意味で名誉なことなのだろう(?)。

 ちょうど節目を迎えましたが、これからも書き続けていきますので、よろしくお願いします。