第41球「頑張らない」(2001.10.9)

 草野球に真剣に取り組んでいる諸兄は、ことのほか高校野球や大学野球など、いわゆる「第一線」でプレーしていた人が少ないように思われる。もっとレベルの高い野球チームで活動しているのかと思えばそうでもないらしい。そもそもそういう経験が無い諸兄の方が実はプレーをきっちりやっているとさえ思うときがある。それは何故なのだろうか?。

 朝から晩まで野球漬けの生活を送るということは、今思うと非常に幸せだよなぁと思うのだが、その一方で色々な代償も払っている。3年間(大学は4年間)で肩も肘もぼろぼろになった、とかその当時の怪我が未だに尾を引いている、とかそんな話をよく耳にすることもある。成長期に酷使された肉体は想像以上にダメージが残るものなのだろう。しかし、そんな肉体的なことよりも、もっと別の部分に問題点があると俺は思っている。

 それはその人にとって「野球がつまらない」ものになってしまった、ということだ。例えば家庭を築いてそっちに心血注いでいますとか、仕事一筋に打ち込んでいます、というのならそれはそれで素晴らしいことなのだと思う。軸足をそっちに移したということなのだ。俺自身もいつかは家庭第一の生活に軸足を移す時がくると思っているし。

 しかし、毎日の厳しい練習や、それ以前に厳然と蔓延る上下関係やしがらみに疲れ果ててしまう選手が実は非常に多いのではないか、と思ってしまうのだ。かくいう俺もそうだった。激しい練習に耐えることが毎日の日課ようになり、いつしか野球そのものを楽しめなくなってきた時期は確かにあった。なぜ野球をやっているのかということさえも明確に答えられないような時もあったと思う。そんなときはいくらヒットを打っても、ファインプレーしてもちっとも嬉しくなかった。

 そんな俺にとって草野球で肩の力を抜いてプレーすることで、野球本来のおもしろさを再発見できたことは非常に幸せなことだったと言っていい。再発見したのは野球のおもしろさだけではない。相手に勝つという気持ちや勝つために何を俺はすべきなのかを冷静に考え、そしてプレーに生かす術もまた見つけだしたのだ。だから今は野球がおもしろくて仕方がない。こういう術を高校野球の時に目覚めていればなぁ、なんて思ったりもする。経験を積み重ねる重要性をひしひしと感じる時というのはまさにこういう時だ。TWINSのエースも同じ意見を持っている。「高校の時はバッターを追い込んだら三振を奪うことだけを考えていたけど、今はそこからどう打ち取るかということを考えている。だからピッチングすることがおもしろくて仕方がない」と。この話を聞くにつけ、彼の安定した好成績の裏付けとしては十分なものだろう。

 というわけで俺は野球を頑張るつもりはありません。どのくらい頑張らないかというと、野球のおもしろさを忘れてしまうくらいまで。なぜ自分が野球をやっているのか忘れてしまうくらいまで。俺は野球がおもしろいからやっているんだ。俺は野球が好きだからやっているんだ。野球人の皆様。野球はおもしろいものなのです。その部分だけはゆめゆめ忘れてはならんのです。