第40球「大人要請講座」(2001.10.2)

 「相手の嫌がることをする」というのと「相手が嫌な気分になる」というのは似ているようでいて実は全く違う。そのさじ加減を見極める、ということを野球人は肝に銘ずる必要があると俺は思う。

 試合の最中に相手チームの守備の弱点が浮かび上がってきたとする。例えばサードの動きが悪いから三塁側にセフティーバントを狙うとか、レフトの肩が弱そうだから、少々浅い外野フライでも思い切ってタッチアップしてみようとか、そういうやつだ。普通なら無謀な打撃や走塁が一遍にビッグプレーになってしまう。それは相手からすれば、この上なく嫌な攻撃であり、逆にそういう攻撃ができるチームは少ないチャンスを最大限に生かしきることができる、つまり強いチームなのだ。的確な状況判断と、試合の中で相手のわずかなスキを見抜く力があってこその戦術である。

 しかし、野球人の中にはそれを曲解し「相手を挑発すること」と「相手の嫌がること」を同一視している者がいるように思われる。そういう「挑発」は得てして逆に言われた方にプラスに働くことが多い。だって言われたら頭に来るでしょ?。気合入るでしょ?。言われた本人はしゅんとしても周りの味方が黙っていないでしょ?。チームってそういうもんでしょ?。

 逆に、ちょっと相手に言われたくらいで逆上して本来のプレーをできない野球人も問題があると言わざるを得ない。たとえ思い切り核心を突かれた挑発であっても、そこは平常心で乗りきりたい。いや、試合に出ている以上、そうしなければならないのだが。いずれにせよあまりいい気はしないものである。

 相手を挑発する行為は、結果的にはやる方もやられる方にも有益でない行為である、と俺は思う。相手の弱点を見つけたらそれを味方同士で共有し、黙ってそこを突く。感情的になる前に価値ある一点を奪い取る、そっちに力を注ぐべきだと思う。相手が嫌な感じを抱く前に試合を決めてしまうのが大人のやり口ではないだろうか。

 勝負である以上、勝ち負けに拘るのはアタリマエなのだが、勝負以前に守らなければならないことがある。正々堂々と「相手の嫌がることをする」チームでありたいですね。