第39球「檄」(2001.9.19)

 「バットは短く持って、少し寝かせて構える。そしてボールを上から叩くように鋭くスイングする」口酸っぱく教え込まれてきた打撃論である。特に少年時代には誰しもそのように教えられる。ボールに負けないパワーとスピードを兼ね備えていない時期だけに、それは当然の打撃法といえる。いや、実は今だからこそ、それを思い出す必要があるのだ。

 このような打撃論を振りかざす指導者に限って、自分自身のバッティングフォームはそれと全く正反対であることが多い。バットは立てて、目一杯長く持ち、そしてスイングはアッパースイング…。で、その結果は、というと芳しいものではなく…。「コーチは何で俺達に教えているのと違うことするんだろう?」といつも疑問に思っていたものだ。

 「言行不一致」ほど嫌なものはない。ましてや自由意志で参加している草野球について言えば、これほど嫌なものはない、と俺は思っている。専任のコーチや監督はいないから、多分そういう役回りになるのは、チームに対して「檄」を飛ばす選手なのだろう。だから、人一倍試合中に檄を飛ばす選手はその一方で、それと同じだけのプレッシャー(言行不一致になりがちな自分への戒め)を背負っているのだ、といっていい。

 試合中に味方や相手に口にすることを、そのまま自分に置き換えて考える。そして自分のプレーや佇まいを振り返る。ただ、熱くなって怒鳴り散らすよりも、相手を挑発する野次よりもはるかに有益なことに思える。「檄」は自分のプレーのために出すものであり、自分のプレーがチームに「活力」を与える、そのプレーは1つのファインプレーではなく、99の基本プレーの積み重ねに他ならない。自分が常日頃口にしている「檄」そのものに他ならない。

 TWINSでは誰も「ホームランを打て!」「ダイビングキャッチしろ!」なんて「檄」を飛ばす選手はいない。どれもこれも基本的なことばかりだ。それがたとえ使い古しの野球論であっても、「基本」はどんな状況下でも忘れてはならないのだ。「言行不一致」になってはならないのだ。

 俺はグラウンド上でもHP上でも「檄」をずいぶん飛ばしてきた、と思う。これを書いているうちに段々プレッシャーを感じてきてしまいました…。俺がもし「言行不一致」になったら叱り飛ばしてくださいな、諸兄。