第37球「ナガシマ采配」(2001.9.6)

 某セリーグの監督の采配はやれ「勘ピュータ」だの「ひらめき采配」だの言われ、あまり評価されていない。あれだけの戦力を持っていながらして、なぜ勝てんのだ、優勝できんのだ、と不思議に思っているのは、TWINS御用達の新宿御苑駅前居酒屋「萬月」の板さんや新橋の酔っ払い親父だけではあるまい。

 俺自身は彼の采配自体は、結構オーソドックスなものだ、と思うのだが。悪いのは期待に応えられない選手であり、進言できないコーチ陣である。というわけで、俺はどちらかというと監督擁護派なのだが、一つだけどうしても気に食わないことがある。それは、「外野手をなめんな」ということである。

 「超攻撃型布陣」と銘打たれたオーダーを見ると、外野のポジションに普段外野も守らないような選手を置いていることが目立つ。最近では元木、ちょっと前までは川相までそんな扱いをされてきた。そこには外野手への畏怖も敬意もない、としか思えないのだ。

 外野手はやったものしかわからない難しさがある。伸びるか失速するか全くわからない打球の落下点にいち早く走り込み、捕球する。確かにプレーする回数さえ少ないものの、その一つ一つのプレーは試合を決めかねないほどの重みを持つ。守備範囲は内野と比べ物にならないほど広く、前の打席や体格・スイングを見て、打者毎に微妙に守備位置を変えたりもする。そして忘れてはいけないのが、地味ではあるが内野のプレーのカバーリングである。つまりプレーする以前の洞察力、打球への素早い判断力、目に見えないプレーを黙々とこなす忍耐力、これらは内野手よりも外野手に求められる能力である。その点で外野手は内野手よりも秀でていなければならないのだ。

 だから、草野球でありがちな「野球の下手な選手はとりあえず外野」という不文律は全くの誤りだ、と俺は思っている。それは草野球でもプロ野球でも同じである。だからこそ、その采配には賛同しかねるのだ。それで野球人を満足させられると思ってんの?。勝敗以前に外野手のプライドをずたずたにしているところが何より腹が立つ。

 今でこそ俺は内野を守っているが、元々は中学・高校と外野手だった。そして俺はずっと「外野の守備センスは無い」と言われつづけてきた。やっとなんとなく守備のコツが掴めてきた頃には、すでに高校野球は終わっていた。そんなもんである。外野は難しいです、マジで。