第35球「キャッチボール」(2001.8.29)

 最近すっかり縁遠くなってしまった友人が頓に増えたような気がする。その分新しい友人も増えているわけなのだろうが、それはそれで何となく寂しい。寂しいからというわけではないが、たまにそんな友人にメールを送ってみて、返事があると無性に嬉しかったりする。で、会ってみて昔と全然変わっていなかったりすると、もっと嬉しかったりする。 コミュニケーションしあえる人間が多い、というのは素晴らしいと思う。

 コミュニケーション=意思の伝達である、と定義されている。そしてその伝達は「一定の意味内容を言語や視覚・聴覚に訴える各種の手段を媒介として伝え合うこと」とされている。メールや手紙から実際に会うまで幅広い手段があるわけだ。もちろんその手段はたくさんあったほうがいい。だから実際に会うのが一番いいコミュニケーションとなるわけだ。メールなんかで満足していたらいけないわけだ、と自分で妙に納得してみたりする。

 野球におけるコミュニケーションは、もちろん声でのやりとりが主になるのだろうが、俺は手段としてはむしろキャッチボールの方が大きいかなぁと思う。キャッチボールは野球のプレーで最高のコミュニケーションである。何故相手の胸、しかも右投の選手に対しては右胸(左投の場合は左胸)にボールを投げなければならないのか。それは相手が次の送球(=コミュニケーション)に最も早く、かつ正確に移行できるからに他ならない。その積み重ねが、例えば連係プレーなどのビッグプレーに繋がっていく。つまりコミュニケーションの集大成が一つのアウトに結びつくのだ。

 キャッチボールを舐めてはいけない。全国優勝の経験もある百戦錬磨の高校野球の監督でさえ「キャッチボールができないなら、できるまでやらせます。でないと野球が始まりません。」と言う。TWINSの主将も試合前のキャッチボールで必ず「丁寧に相手の胸に投げろ。」と言う。きっちり俺の右胸に投げ込まれてくるボールは、受けただけで「今日の試合に勝つんだ」という明確な意思が伝わってくる。それだけで俺もぐっと気合が入ってくるのだ。それだけで充分だ。

 友人との繋がりもまた然りなのだろう。まめに連絡を取り合いたいものである。突然メールしたり電話したり、挙げ句の果てには「飲みにいこ」なんて言い出すかもしれませんが、その時はお付き合いください。もし、逆の立場になったら俺もできるだけ付き合うからさ。このコラムもキャッチボールができるようなものにしていきたいなぁ、と思う今日このごろです。