第33球「PRIDEの唄」(2001.8.16)

 “涙の数だけ勝ちなさい、笑顔の分まで負けなさい”

 平日集まって練習することのできない我々は、時間を見つけて一人トレーニングに励むことになる。ジムに日参している者、移動手段を徒歩に切り替えた者、バッティングセンターに通う者、一人家の前で素振りを繰り返す者…。どれもこれもある意味孤独な作業であるといえよう。

 野球は頭を使って戦略を練って戦うスポーツではあるけれども、それ以前に、形はどうあれ、相手から点を取らないと勝てないものである。相手からアウトを奪うために守っていかないと勝てないものである。そこで必要とされるのは闘争心と動ける体である。それは当コラムで言葉尻こそ違えども一貫して書いてきた。この2つの要素はどちらも必要不可欠なものである。が、強いて一つあげるならば、やはり「動ける体」が上位に来る。動ける体はイコール「戦える体」なのだ。

 特に20代後半から30代前半の我々にしてみれば、年齢的にフィットネスは確実に落ちてくる。そういう中で実績を積み上げていくためには、「動ける体」を作ること、すなわち「孤独な作業」がクローズアップされてくる。実績を残すということは決してその人の持って生まれた素質や辿ってきたキャリア(野球経験者である、ということ)がそうさせるのではない。毎週末をどのように迎えるかがカギになっているのである。

 “涙の数だけ勝ちなさい、笑顔の分まで負けなさい”は桑田圭祐「PRIDEの唄」の一節である。別に虚無僧のように毎日野球に取り組めといっているのではない。が、活躍するためにはそれ相応のトレーニングが必要ですよ、と言いたいだけだ。不振の時には色々考えてしまいがちだ。どんなことでもそうだが、正面から向かい合って取り組むより他には無い。結局、野球の悩みは野球でしか解決できないのだ。そして悩みを解消させるにはグラウンドに立つしかないのだ。

 次の試合は諸兄はどんな想いを胸に参戦するんでしょうかね。