第32球「江川vs広島商業」(2001.8.13)

 江川卓を名投手と見るかどうかは、意見が分かれる。大事なところでまるで手を抜いたかのように失投を痛打され、小首をかしげる彼の姿を見れば致し方ないのかもしれない。もう一昔前の話なので、「江川?ああ、うるぐすの司会で、全然競馬予想の当たらないあの人でしょ?」なんて言われてしまうかもしれない。俺の中では、彼は間違いなく名投手の部類に入る。

 江川は作新学院高校の時に「怪物」ともてはやされて、甲子園に乗り込んできた。公式戦完全試合・ノーヒットノーランも多数記録(計12回!)しており、超高校級の速球を武器にしていた。怪物江川に対戦相手は、手も足も出ず、ただ白旗を上げるだけだった。そんな怪物に立ち向かったチームがいた。名門広島商業高校である。春のセンバツ準決勝のことだった。

 「やまびこ打線」「ヒグマ打線」など強力打線に対してニックネームを持つ高校は数あれど、「広商野球」と「野球」そのものにニックネームを持つ高校は数少ない。全国区で言えば、唯一無二の存在ではなかろうか。これは「広島商業が実践する野球こそが高校野球のスタンダードである」という名誉ある称号であることに他ならない。

 広島商業は何をしたのかというと、「江川に球数を投げさせる」作戦に出たのだ。簡単に打たずに2ストライクまでじっくりボールを見て、追い込まれたらバットを短く持ち、右方向に打球を飛ばす。当然ボール球、特に伸びのある高めのボールには絶対手を出さない。監督はそんな指示を選手に出し、選手はその指示を忠実に守った。

 「打て」といわれて、実際に打てるのは3割かそこいらである。好投手が相手ではその確率はもっと低くなる。そこで「打つ」前に「見極める」ことを選択したのだ。これは迫力のある采配だ。結果江川は160球を超す投球数を数え、最後は押し出しで決勝点を奪われ、敗れ去る。握力を無くした江川はその速球の威力が陰り、最後の最後に崩されたのだった。

 若さや経験にモノを言わせ、投げ込んでくる投手と対戦することもこれから多くなるだろう。そこで手も足も出なかったというのが昨シーズンまで繰り返されてきた。今季はどうだろうか。あと二つ残ったトーナメントで必ずその場面はやってくる。最後の最後に崩すことがTWINSにできるだろうか…。

 その時の広島商業の監督は今年如水館高校を率いて甲子園に乗り込んできている。そして江川を倒したのと同じやり口で東北NO1右腕を攻略した。脈々と受け継がれるその戦術に俺は脱帽せずにはいられないのだ。ちなみに敗れはしたものの江川はそのセンバツ大会4試合で奪三振数60を記録した。こっちも脱帽。やっぱ怪物だよ、江川は。