第31球「トーナメントの戦い」(2001.8. 6)

 トーナメントの試合は言わずもがな負けたらおしまいである。従って競った試合の終盤などは本当に緊迫したものになる。これが一番の魅力なのだろう。夏の高校野球がなぜあんなに人気があるのかというと、負けたらすべて失う、という残酷なトーナメント戦の魅力を凝縮している点に尽きる。決して高校生らしいさわやかな戦いが魅力なのではない、と俺は思う。草野球にしてもトーナメント戦は本当にスリリングだ。

 さて、「1,000チームが参加してトーナメントを開催した場合、一体何試合を行えば優勝チームを決められるでしょうか」という簡単ななぞなぞがある。まさか「?」なんて諸兄はいないでしょうね。答えは簡単、999試合である。言い換えれば999チームが試合で負ければいいのだ。要は1チームを除いて、残りすべてのチームが遅かれ早かれ敗れるのだ。

 何が言いたいのかというと、トーナメントは「負け方」というのが非常に大事なのだ、ということだ。勝ち進んで優勝したい、という気持ちはもちろんあるのだけれども、むしろしびれる試合をしたいというか、緊迫したグラウンドに立ちたいという気持ちのほうが強い。そしてその中で「勝負」をしたいのだ。当然負けることもあるだろうが、「勝負」をしたことに対して最大限の満足が得られるのではないだろうか、と思う。もちろん練習試合などで敗れるよりもそのダメージは計り知れないほど大きい。それでもTWINSはトーナメントの試合を最優先させて、試合を組む。やっぱりみんな「勝負」したいのだ。

 勝負せずに負ける、もしくは勝負する前に負ける、これほど不完全燃焼な試合はない。たとえそれが結果的に勝利を収めた試合であっても、だ。逆に言うと、トーナメント戦で勝ち進むには「勝負」できるかどうか、とその「勝負」に勝てるか、という二点が非常に大きなポイントとなる。

 この勝負する感覚、というものは一種独特のもので、一度その感覚を知ってしまったら、もう逃れることはできない。逆に勝負の怖さを身をもって経験することにもなる。そういう意味ではトーナメントは麻薬のようなものだ。そして俺はその麻薬にどっぷり漬かる草野球ジャンキーなのだ。