第17球「性(さが)」(2001.5.16)

 人にはそれぞれ「性(さが)」というものがある。これに逆らうことは難しい。生活を変えたり、態度を改めてみたり、というのは結構耳にすることがあるが、その根本たる「性」はどうにも直しようがないものなのだ。

 野球人の場合それは特に顕著である。小学・中学・高校・大学という学生生活の中で、その一部でも野球というものに真剣に取り組んだ輩はグラウンドでの姿を見ればすぐ見分けがつく。「野球が上手いかどうか」というのは安易な物差しである。もっと根本的なところにその差は現われる。

 先日の試合では、強力な新人が助っ人として参戦してきた。彼は弱冠23歳。主将とは9歳、筆者とは6歳の年齢差がある。彼は最初ベンチでスコアを付けていたが、徐々に声を出し始めた。それもかなりツボを押さえたドスの効いた声で…。その姿は周りが声を出しているから俺も出しておこう、というような受動的なものではなく、今まで彼が野球をする上でやって来たことそのものを表現しているに過ぎない。これこそが野球人の「性(さが)」なのだと俺は思う。

 言い換えればTWINSには野球人が「性(さが)」を曝け出せる土壌というものが徐々に備わってきているのかもしれない。投手が必死に投げるのも、捕手が体張ってボール止めるのも、野手が声出して盛り上げるのも、ランナーが全力疾走するのも立派な「性」である。野球人が「性」を曝け出せるチームというのは実は数少ない。それは「年相応の振る舞い」とか「見栄」とかそういう要素が「性」を曝け出すことを阻むからだ。そういうものは日常の生活に置いてきて、グラウンドの中ではそういうのを一切排除してストレートな自分を出せる選手でありたいと思う。そしてそういう選手を俺達は求めている。

 暑苦しく書いたが、何も強制しているわけではない。野球人ならきっとそんな場所を懐かしく思う時が必ず来る。それをグラウンドの外から眺めているだけではもったいないよなぁと思うだけだ。浅見君、お待ちしています。君には「性(さが)」が垣間見えます。