第15球「ジャンボ」(2001.5.8)

 そろそろあの日がやってくる。5月13日。俺は近年、この日ほど驚いた日はない。あれだけ大きくて、強くて、可能性を秘めた男が倒れたのだ。その男の名は鶴田友美、またの名をジャンボ鶴田という。

 スポーツをすることにおいて、一部のスポーツを除き、「大きい」ことはメリットになり得た。それは野球においても同様である。打球を遠くに飛ばす力は体重に由る部分が大きい。自分の体重をボールに乗せていくというコツがあるわけだが、同じスイングをするならでかくて体重のある奴の方がまさる。高校野球などはこの傾向が顕著だ。

 決して恵まれた体躯ではない俺にとって、でかい奴はある意味憧れだった。世界は違うがプロレス界においてそれを感じさせてくれたレスラーがジャンボだった。ヘソで投げるバックドロップや数々のスープレックスにクタラキ少年は狂喜していたものである。

 一方「でかい奴はどん臭い」という一種の偏見も、実は二律背反的に持ち合わせていて、この点でもジャンボは秀逸なセンスを持ち合わせていた。相手の反則技に激怒したジャンボは、コーナーマットを外し、相手をそのむき出しになった金具に打ち付ける。グロッキーの相手に満足げな表情を浮かべるジャンボ。そしてコーナーによりかかる相手に対して、自分の膝のサポータを外して突進。得意技のジャンピングニーパット!。とっさに身をかわす相手。そしてコーナーマットを外した剥き出しの金具にこれまた剥き出しのジャンボの膝は痛打。のた打ち回るジャンボ。相手はそこで一気に足四の字!。ジャンボピンチ!!

 というシーンを、クタラキ少年はなんと4週間連続で目にするのである。「ええかげんにせえよジャンボ」「よせ!突っ込むなっつうの!」というツッコミにも似た声援をしながらだんだんエキサイトしていくクタラキ少年。そして少年は気がついたのだった。「でっかくならんでもいいや」と。そういうことがプロレスのいい所なのだ、と気がついたのは近年のことである。

 草野球において、「でかい」ことは何の意味も持たない。一番のポイントは、動ける体であること、つまり「フィットネス」に尽きる。年齢的な部分を考えれば、フィットネスの維持というのがTWINSの大きなポイントになることは間違い無い。「やる気はあるけど体がついてこない」という状況にはなりたくないものだ。練習で体を造って試合に臨みたい。